Rigodon Dance

 文学覚書  蔦の実文学会
 
音楽、自然力の狂乱
2026/01/10
 
『あれか、これか』(1843年 セーレン・キルケゴール)

キルケゴールは第一作『あれか、これか : ある人生の断片』の中で、モーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』を、「不滅の者たちの中でモーツァルトを最高位に立たせる作品」として、その力の内実を語るために多くの言葉を費やしている。『序曲』についての評言は以下のように激烈なもので、その楽曲からほとばしる多様な力の在りようを、次から次へと一息に列挙していく。

この序曲は主題のごたまぜではなく、迷宮のような観念連合の編み合わせではなく、簡潔・明確・強烈に構成され、なかんずくオペラ全体の本質にあふれている。それは神の思想のように力強く、世界の生のように活動し、厳粛なときには震撼を与え、歓楽のときにはおののきを与え、おそるべき怒りのときには破壊的であり、生を楽しむ喜びのときには感激を与え、罪の裁きのときには陰鬱であり、いかめしい威厳を示すときには悠然として荘重であり、歓喜のときには動揺し、ひらめき、踊るようである。

「歓楽のとき」「生を楽しむ喜びのとき」「歓喜のとき」の畳み掛け、「厳粛なとき」「いかめしい威厳を示すとき」の繰り返しなどから見ても、音楽の中に没入しながらこの言葉が書きつけられた瞬間の、著者の中で荒れ狂う熱狂的情動の激しい息遣いが感じ取られる。

キルケゴールは一般に「哲学者」に分類されているが、その著作はどれをとっても対象に向かって何かを叩きつけるような激しさに満ち満ちたもので、「冷静な観察者」としてどんなに複雑な分析を試みている箇所でも、「胸に刺さった棘」とともに生きたこの著者の、激烈極まる情動の起伏の波立ちを感じさせないものはない。

もろもろの力が根源的にうごめき、全威力をもって衝突しあう…つかのまの生の喜びのなかの激しい不安…情熱的な興奮のなかの駆り立てる脈搏…

不安をはらむ喜び、混沌を胚胎する規則正しい鼓動。同時に共存し混在する異なる複数の情動が、互いに衝突しあう「威力」と捉えられる。それらは支配的な位置をめぐってきりもない争いを続けている。

その威力はもう一つの威力に運動を起こさせる…ほとんど不動であるほどにゆるぎなく確固としていたものが、もはや長くその状態を守りきれず、たちまち運動はきわめて速くなって争いが始まる…このことをもっとくわしく述べることは不可能であって、ここでは音楽を聴くことが肝要である。なぜなら、あの争いは言葉の争いではなくて、自然力の狂乱だからである。

人をとらえて引きずり回すように支配する諸々の「威力」である情動は、主張や議論といった学問的検討(言葉の争い)とはまったく別のところで、狂ったような激しい争いを続けている。キルケゴールはそのような争いを「自然力の狂乱」と呼び、そのひとつの在りかをモーツァルトの音楽の中に見出した。

「自然力の狂乱」は、「簡潔・明確・強烈に構成」されたひとつの秩序の創造がなければ、その全体の姿を露わにすることができない。雑多な寄せ集めに過ぎないものは、共存しえないものが共存し、互いに排他的なもの同士がぶつかり合う威力混在の内実を浮かび上がらせることはできない。音楽は、そのような「自然力の狂乱」の表出のために最も相応しい形式の一つなのかもしれない。